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うさぎが愛した疎結合性ポリフォニー
essay, loose-coupling, polyphony, counterpoint, actor-model, narrative, emergence
どうやら私は、同じものを何度も愛していた
ソフトウェア開発ではアクターモデルが好きだ。音楽では対位法。Beat Saberでは左右が異なるフレーズを受け持つ混合フレーズに惹かれ、アークナイツでは戦術を組むことも、それぞれの事情を抱えた人物たちの物語を読むことも楽しんでいる。ドラマなら、基本的には一話ごとに事件や任務が完結するシリーズを好む。
それぞれ別の理由で好きなのだと思っていた。ところが、並べてみると何かが似ている。
どれにも、個々の筋を追う面白さと、それらが関係して生まれる全体を読む面白さがある。一つに注目しても、その外へ視野を広げても、読むべきものが残っている。
この共通する性質を、私は「疎結合性ポリフォニー」と呼ぶことにした。既存の概念を接続した、このエッセイのための名前だ。
独立した線、精密な関係
ポリフォニーは、複数の旋律線がそれぞれの独立性を持って同時に進む音楽のあり方だ。対位法は、その旋律線同士の関係を扱う技法や理論だ。1
ある声が上昇する間に別の声は下降する。一方が長く音を保つ間に、他方は細かく動く。各声部を追えば、それぞれに旋律の筋がある。しかし、重なった瞬間の響きや緊張は、どの声部も単独では作れない。
ここで、独立していることは、相手を気にせず何をしてもよいという意味ではない。旋律としての独立性を保ちながら、声部間の音程や進行には厳しい制約を置ける。同じリズムで動いていても、旋律線としての独立性は成立する。1
では、何が疎なのか。
ソフトウェア設計でいう疎結合は、構成要素間の依存を抑えることだ。接点を通じて必要なやり取りはするが、相手の内部の細部までは知らずに済むようにする。内部の変更を他の部分へ波及させにくくする情報隠蔽も、そのための重要な考え方だ。2
音楽とソフトウェアで、同じ量として結合の強さを測れるわけではない。私が重ねて見ているのは、各部分の進み方や内部構造のすべてを相手に従属させず、それでも接点では精密な関係を作るという性質だ。何について独立し、何を共有するのか。そこを分けて考えなければ、ただの「緩やかなつながり」の話になってしまう。
アクターモデルでは、各アクターが内部状態を持ち、非同期のメッセージによって他者と関係する。3 ただし、メッセージを使うだけで設計全体が疎結合になるわけではない。相手の処理手順に細かく依存すれば、通信していても密結合にはなる。内部を任せられることと、何を受け渡すかが定まっていること。その両立に私は惹かれる。
耳で追い、腕で動き、物語を読む
Beat Saberの混合フレーズにも、この独立と関係がある。ここで扱いたいのは、左右がそれぞれ異なる運動のまとまりを担う配置だ。片腕の動きを読めば、その先へ続くフレーズがある。もう一方にも、別のフレーズがある。それらを楽曲の時間に合わせ、一つの身体で同時に成立させる。
左右が完全に独立して動くわけではない。それでも、片方の動きをそのままもう片方へ写すのとは違う。それぞれを追いながら、二つが重なる運動を理解する。耳で聴いていた声部の関係が、今度は腕の動きとして現れるように感じる。
アークナイツでも、各オペレーターの能力と、それらを組み合わせた戦術の双方を読む。物語ではさらに、それぞれの過去と目的を持つ人物が、別の目的でその場に居合わせた人物と協力し、衝突し、すれ違う。その行動を本人の事情から理解しつつ、他者との関係によって生じる展開も追える。私には、能力だけでなく目的も対位法を奏でているように見える。4
こうした構造は、一人の作者が全体を設計していても成立する。作曲家も譜面制作者も物語の作者も、各部分の独立性を含めて設計できる。私が見ているのは設計者の不在ではなく、設計されたものの中で、それぞれの線を追えることだ。
空間に分かれ、時間をまたぐ
この関係を空間方向から眺めるなら、囲碁の盤面がよい。
盤上の離れた場所で、それぞれの石のまとまりが異なる状況を抱えている。ある局所の形を読み、いったんそこから目を離して別の場所を考えられる。それでも、一方での展開が他方の価値や方針を変える。個々の局面として読めるが、全局から切り離してよいわけではない。この相対的なまとまりと関係に、私は空間方向の疎結合を見る。
ここで独立した部分として見ているのは、盤面上の局所的な形や攻防だ。それらの関係の強さは、単なる距離では決まらない。
一方、時間方向から見るなら、私が好む一話完結のシリーズドラマがわかりやすい。各話の事件や任務には区切りがあり、前話の細部をすべて覚えていなくても、その話の筋を追える。しかし、人物の経験や関係、世界の変化は話をまたいで残る。一話の完結とシリーズの継続が、同時に成立している。5
単に前後に並んでいるから疎結合なのではない。各話で閉じられるものと、次の話も依存するものが分かれている。そのため、各話を楽しむ読み方と、長い時間にわたる変化を読む見方の両方ができる。
そして布石は、空間と時間を接続する。囲碁の石は、一度打てば別の交点へは動かせない。6 その配置が、後の攻防で役割を持ち、別の場所の石との関係を顕わにすることがある。私はそこに、未来に結ばれうる関係を現在の空間へ置く面白さを見る。
同じ盤面を見ているはずなのに、展開を一つ理解すると、以前からあった石まで違って見える。ドラマで人物の過去を知ったあと、すでに見た行動の意味が変わるのにも似ている。
部分と全体を行き来する楽しさ
これらをすべて、同じ仕組みだと言うつもりはない。旋律はアクターではないし、一話の完結性は人物の自律性とも違う。まして、疎結合なら何でも面白いわけではない。関係がなければ全体は生まれず、関係だけが見えて部分を追えなければ、私がここで述べている楽しさの片側がなくなる。
各部分には、それぞれとして理解できるまとまりがある。それらの関係を追うと、単独では現れなかった響きや振る舞いや意味が見えてくる。創発という言葉で捉えたくなるのは、この部分だ。7 ただし、予測不能であることや、作者が意図していなかったことを条件にしたいわけではない。意図して作られた関係を理解することも、十分に面白い。
ある声部を聴いてから全体を聴く。全体を聴いてから、その声部へ戻る。局所の攻防を考え、盤面全体を見直す。人物の目的を理解し、別の人物から同じ出来事を見る。視点を移すたびに、先ほど理解したものへ別の意味が加わる。
私は単に、複雑なものが好きなのではないらしい。複雑さの中に個々の筋があり、筋を追っていくと関係が見え、その関係を知ることで個々の理解も変わる。その往復が好きだ。
異なる分野で、同じものを何度も愛していた。そう気づいた今、私の嗜好の一覧そのものも、以前とは少し違って見えている。
註と参考文献
本文の分野横断的な対応は著者の見立てであり、以下の文献がその対応全体を証明するものではない。基礎事項の参照と、関連する議論を区別して掲げる。
Footnotes
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Open Music Theory, “Texture”および“First-Species Counterpoint”。後者は同じ速さで進む二声を扱いながら、旋律線の独立性と垂直的な協和音程をともに要求する。声部の独立性は、リズムの相違や制約の不在と同義ではない。 ↩ ↩2
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David L. Parnas, “On the Criteria To Be Used in Decomposing Systems into Modules,” Communications of the ACM, 15(12), 1972, pp. 1053–1058. 情報隠蔽とモジュール分割の参照。関連する組織論として、Karl E. Weick, “Educational Organizations as Loosely Coupled Systems,” Administrative Science Quarterly, 21(1), 1976, pp. 1–19。相互に応答しつつ同一性と分離を保つという議論であり、ソフトウェア設計と同じ定義・尺度だとは扱わない。 ↩
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Carl Hewitt, Peter Bishop and Richard Steiger, “A Universal Modular ACTOR Formalism for Artificial Intelligence,” IJCAI, 1973, pp. 235–245; Gul Agha, Actors: A Model of Concurrent Computation in Distributed Systems, MIT Press, 1986. ↩
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関連文献:Mikhail Bakhtin, Problems of Dostoevsky’s Poetics, trans. Caryl Emerson, University of Minnesota Press, 1984. 融合しない複数の声と意識を論じる、小説のポリフォニー論。本稿の作品解釈を直接裏付ける文献ではなく、単に登場人物が多いことを指す概念でもない。 ↩
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Jason Mittell, “Narrative Complexity in Contemporary American Television,” The Velvet Light Trap, 58, 2006, pp. 29–40. DOI。エピソード型と連続型、およびその組み合わせに関する参照。一話完結型のすべてが経験の蓄積を重視するわけではなく、本文は著者が好む、完結と継続を両立する作品について述べている。 ↩
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日本棋院・関西棋院「日本囲碁規約(全文)」、1989年。第3条に着手、第4・5条に石の存在と取りを定める。布石や局所的な攻防を疎結合と読む部分は、規約上の定義ではない。 ↩
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関連文献:Jeffrey Goldstein, “Emergence as a Construct: History and Issues,” Emergence, 1(1), 1999, pp. 49–72. 複雑系における創発の概念整理。本稿はその自己組織化の議論を音楽や物語へそのまま適用せず、部分にはない性質が関係から現れるという観点を借りている。 ↩