味覚地政学のフラクタル性
地域味覚・分類権力・抵抗の再帰的生成について
味覚地政学のフラクタル性
— 地域味覚・分類権力・抵抗の再帰的生成について —
USAGI.NETWORK
Abstract
本稿は、日本の味覚文化における「東西」対立図式を、単なる地域差の説明ではなく、味覚地政学として捉える試論である。味噌、醤油、だし、甘味、発酵調味料の嗜好は、本来、気候、作物、移民、流通、産業、家庭料理、行事食、商品棚、メディア表象によって複雑に形成される。しかし、それらはしばしば「東の味」「西の味」という粗い二分法へ圧縮される。この圧縮は、関東中心・関西中心の認識枠を強化し、それ以外の地域的文脈を周縁化する。
一方で、そのような味覚地政学に回収されない個人や地域は、自己の味覚を記述し直すことで、結果として味覚地政学への抵抗を生じさせる。しかし、その抵抗もまた名付けられ、共有され、様式化されることで、新たな味覚地政学へ変質し得る。本稿では、この再帰的構造を「味覚地政学のフラクタル性」と呼ぶ。
1. はじめに
日本の食文化はしばしば「東は濃い」「西は薄い」「関東は醤油」「関西はだし」といった対立図式で語られる。この種の語りは便利である。入門的な説明としては、一定の有効性もある。しかし、それを過度に一般化すると、北海道、東北、北陸、甲信、東海、山陰、四国、九州、沖縄といった地域固有の味覚体系は、関東か関西かという戦線図の外側へ追いやられる。
たとえば北海道は、全国的には昆布の産地として認識されることが多い。だが実際には、昆布は西日本のだし文化への供給資源として扱われてきた側面も強い。一方で北海道内部には、開拓移民の混成、甜菜糖産業、甘納豆赤飯、甘い茶碗蒸し、甘い惣菜といった独自の甘口文化もある。北海道は単に「東」でも「西」でもない。まして「昆布の土地」という一語で記述できるものでもない。
味覚は地図である。
だが、地図は土地そのものではない。
2. 味覚地政学とは何か
本稿でいう「味覚地政学」とは、食の嗜好、地域性、商品流通、メディア表象、観光語彙、家庭料理の記憶が結びつき、ある味を「地域の代表」として配置する認識体系である。
これは必ずしも誰かが戦略的に仕組んだものではない。むしろ多くの場合、無自覚に形成される。メーカーは売りやすい語彙を用いる。テレビは伝わりやすい対立軸を好む。観光PRは地域性を記号化する。消費者は複雑な地図より、覚えやすい分類を好む。
その結果、「東 vs 西」という味覚戦線が成立する。
しかしこの戦線は、実際の地域差を忠実に写したものではない。むしろ、関東中心・関西中心の二大文脈によって、それ以外の地域を副次的な例外として処理する装置になり得る。
3. Major / Minor の混線
食文化を語る際、「major」と「minor」はしばしば混同される。だが、これは本来、複数の次元に分解すべき概念である。
市場で多く売れるものは、市場上のmajorである。
消費者数が多いものは、人口統計上のmajorである。
広告で語られやすいものは、メディア上のmajorである。
地域史を理解する上で重要なものは、民俗上のmajorである。
味覚構造を説明する上で中心的なものは、意味論上のmajorである。
これらは同じではない。
たとえば、宗田節や鯖節の強い節だしは、家庭用顆粒だし市場では必ずしもmajorではない。しかし、東日本のそばつゆ的なだし、濃口醤油に耐える骨太なだし、仙台味噌や赤味噌と組む荒いだしを理解する上では、意味論上かなりmajorである。
同様に、豆味噌は全国消費量ではminor側かもしれない。しかし、東海の味覚体系を理解する上では中核である。麦味噌も全国市場の中心ではなくとも、九州・四国・中国地方の食文化を理解する上ではmajorである。仙台味噌も全国標準ではないが、東北の赤色辛口米味噌、保存食、武家文化、塩味の輪郭を考える上では重要な座標である。
すなわち、食文化における価値は、生産量や消費量だけでは測れない。
「どれほど多いか」と「どの文脈で中心か」は、別の問いである。
4. 味覚地政学への抵抗
味覚地政学は、副作用として抵抗を生む。
ここでいう抵抗とは、政治的な運動とは限らない。むしろ多くの場合、それは単なる自己記述である。
「私は北海道民だが、北海道の甘口文化を全面的に代表しない」
「私は北東北北海道の塩辛く荒い味覚を好む」
「私は甘味そのものが嫌いなのではなく、醤油、味噌、だし、茶碗蒸し、惣菜の輪郭を甘味で丸められることが苦手である」
「私は昆布だし単独より、鰹節、宗田節、鯖節、厚削りのような乾いた輪郭のあるだしを好む」
これは味覚地政学への抵抗を目的とした発言ではない。
だが、結果として既存の味覚地図を破る。
自己の舌を正確に記述しようとすることが、既存の分類体系への抵抗になる。ここが重要である。抵抗は、反抗心からではなく、精密な自己記述から生じることがある。
5. 抵抗の地政学化
しかし抵抗は、抵抗のままではいられない。
ある個人が「東西二分法では私の味覚は記述できない」と語る。その語りが他者に共有され、名前を与えられ、反復されると、やがてそれ自体が新しい分類になる。
「北海道甘口文化に抗う北海道民」
「東西二分法に抗う地方味覚主義者」
「節だし・赤味噌・塩味輪郭派」
「甘い調味料拒否派」
こうしたラベルは、最初は便利な説明である。
だが、それが固定化すると、抵抗は新しい味覚地政学になる。
つまり、味覚地政学は抵抗を生み、抵抗は新たな味覚地政学を生む。ここにフラクタル性がある。
6. 味覚地政学のフラクタル性
この構造は、次のような再帰的過程として捉えられる。
無自覚な生活味覚
→ 商品棚・メディアによる地域味覚化
→ 地域味覚への違和感
→ 違和感の言語化
→ 抵抗的自己記述
→ 抵抗語彙の共有
→ 抵抗共同体の形成
→ 抵抗の様式化
→ 抵抗様式への違和感
→ 次の抵抗
この連鎖は止まらない。
なぜなら、人間は「分類されたくない」と言った瞬間に、「分類されたくない人間」として分類されるからである。
味覚地政学のフラクタル性とは、地図が抵抗を生み、その抵抗が次の地図を生み、その地図がさらに次の抵抗を生む構造である。
7. 戦線ではなく地層としての食文化
この構造を避けるためには、食文化を戦線としてではなく、地層として見る必要がある。
東西二分法は戦線である。
だが、味噌、醤油、だし、甘味、発酵食品、保存食、行事食は、戦線ではなく地層である。
米味噌、麦味噌、豆味噌。
濃口醤油、淡口醤油、たまり、再仕込み。
鰹節、宗田節、鯖節、煮干し、いりこ、あご、昆布、椎茸。
砂糖、みりん、甜菜糖、甘納豆、甘露煮。
寒冷地保存食、温暖地短期発酵、港町の流通食、山間地の保存食、開拓移民の混成食。
これらは単純な東西対立に配置されるものではない。
むしろ、複数の軸が重なった地層として存在する。
戦線図は理解を速くする。
地層図は理解を深くする。
食文化を正確に語るには、後者が必要である。
8. 結論
味覚地政学は、味の地域差を説明する便利な枠組みであると同時に、地域の複雑性を消失させる危険を持つ。そこに回収されない個人や地域は、自己の味覚を精密に記述することで、結果として味覚地政学への抵抗を生む。
しかし、その抵抗もまた名付けられ、共有され、様式化されることで、新しい味覚地政学となり得る。したがって重要なのは、単に既存の地図に抵抗することではない。地図が生成され、抵抗が生成され、その抵抗が再び地図化される過程そのものを観測することである。
味覚は、個人の嗜好である。
同時に、地域の歴史である。
さらに、商品棚の政治であり、語彙の支配であり、分類の問題である。
だが最終的には、舌は常に局所的である。
ある人間が「私はこの味を好む」「私はこの甘さを受け付けない」「私はこのだしの輪郭を愛する」と述べる時、それは世界地図の修正である前に、ひとつの局所観測である。
地図は必要だ。
だが、地図が舌を支配してはならない。
味覚地政学のフラクタル性を自覚するとは、地図を描きながら、地図が世界そのものではないことを忘れない態度である。